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れいばんサンのひとりごと

第18球 「お前とじゃなきゃ、終われないんだよ」

本を片づけながら、時折、石川雄二は右手をひねりながら伸ばす仕草をして筋肉の動きを確かめた。左手で右肩を抑えながら、筋の1本1本を気にするように、丁寧にその流れに合わせて指を走らせた。

「踏み込み幅が狭い!もっと足を広げて腕を大きく振ってから球を離すんだ!」
「お、おじさん・・・ちょっと、ちょっと休んじゃ、だめ・・・だね」
鬼の形相で自らの投球術を短期間で叩き込もうと意気込む黒原信之の指導に一瞬弱音を吐く花房タツヤは、それでも負けたくないという思いで、必死に大林農園の土を踏みつけて投球フォームの改造を行った。

急激に進化するタツヤの姿を眺めながら、それでも厳しく指導する信之の脳裏に、ふと、市役所内の会議室の風景が蘇った。
「たかが草野球と思ってはいけません」
信之の頭の中に、市役所道路公園管理課長・仲村健吾の声が響き渡る
「こちらは『命を賭けた戦い』なんです」
ふ・・・。そのセリフを反芻しながら信之は、苦笑ともつかない声を漏らす。
「宏一の野郎・・・。仲村の野郎が不正を働くと、最初から予想していたとはな・・・」
ふと、空を見上げたあと、再び正面で腕を振り続けるタツヤを直視して呟いた。
「本当に、勝負して決めたかったのかもな。権力を利用出来る大人の力だけで町づくりを決めるなら、くだらないと言われても野球で真剣に勝負して、小さな民意でも反映して決めようと考えたわけか・・・」
お前の思惑以上に、若いヤツらは頑張ってるぞ、宏一。
黒原信之は、自分たちの市長であり、そして幼き頃から面倒みてきた《少年》花房宏一のことを想像し、空に向かって虚無な呟きを漏らした。そして、息を吸い込み再びタツヤを厳しく指導した。

タツヤの中で何かが変わっていた。
居酒屋を継ぐ気は相変わらずないが、とにかくいままで感じていた意味のない《抵抗感》が極度に薄れていたのだ。これまでだったら耐え切られなかたであったであろう、目の前の信之の猛特訓についても、諦めずに食らいついていってやるという気構えがあった。
なぜ、そう考えられるようになったのか。
数日前、石川と会ったことで、商店街に対する思いがさらに強くなったからだ。


「石川さんは、この商店街に来て間もないと思いますが、実はここも店が減っていて、オレが子供の頃に比べたら3分の1くらいになっているんですよ」
タツヤは、自分でも驚くくらいに滑らかに、聞きかじったデータを披露した。
へえ、と石川は本当に関心した様子をみせた。今まで気にもして来なかった各町に点在する商店街が、こんなにも数が減っているとは考えもしなかった。いま、タツヤと席を共にしているこの《喫茶店》も、世間では珍しい存在となりつつある。オープンテラスのあるカフェやファストフード店は乱立しているものの、こうした店はもはや、時代の流れに合わないということか。
石川が「まるで自分と同じかもな・・・」と頭に浮かべたところで、タツヤが口を開いた。
「以前、石川さんがオレにした質問について・・・」そう言ってから、タツヤは言葉を発する前の準備運動のようにコーヒーをひとくち啜ってから再び話し始めた「『全力を尽くしても到達できなかったもの』というのに、確かにオレはまだ出会ったことがありません。でも、全力を尽くして打ち崩したいものは、あります」
少し驚いた反応をした石川は、聞く体制を続けた。
「オレには兄貴がいます。随分と年の離れた兄貴です。子供の頃は可愛がってもらいましたが、兄貴が中学になって家を出て行ったので、それからは週末くらいしか会えませんでした。そんな兄貴は、オレなんかと全然違って頭が良くて、おまけにスポーツまで出来て、オレにとっては憧れなんか通り越して、とても打ち崩せない存在だと思っていました。でも、母が死んだ時、兄貴が実家に帰ってきてオヤジと大喧嘩していました。いつもは理論的にオヤジをかわす兄が、とても感情的になって反抗していました。それを見て思ったんです。『ああ、兄貴も人間だったんだなあ』って。オレ、その、頭悪いんでよく分からないんですけど、兄貴ってなんだか、ロボットというか、コンピューターみたいに感情がない生き物だと思っていたんです。それが、ああ、人間だったんだって。そう考えたら、商店街でキャッチボールしてくれたこととか、時には困りながら勉強を教えてくれたこととか、そういうのに全部、血が通ったっていうか、なんかこう、ああ、説明が下手ですいません・・・」
「少し、少し時間をくれませんか・・・」
言葉をつまらせたタツヤを優しく拾うように、石川は静かに話を始めた。
「当日も仕事があるので、試合時間に間に合うかどうか分かりません。それに、お役に立てるかどうかも未知数なので、少し自分を鍛え直します・・・」
「!」
昔の思い出を語って涙を落としそうになっていたタツヤは、突然顔を上げたので、自然と目からこぼれ落ちたそれが何か理解できなかった。だが、とにかく石川に感謝をしようと思って、言葉を発した。
「あ、ありがとうございます!ありがとうございます・・・」
いえ、こちらこそ、と言いかけた石川は言葉を飲み込み「良い喫茶店ですね。こういった文化的な風景は、無味乾燥な景色に埋もれることで無くなって欲しくないですね。だからと言って、自分には何もできないけど」
「できます!石川さんなら、少なくともこの商店街を救ってくれます!」
「・・・・・!!」

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