「兄貴、オレたちと勝負して決めてくれ!」
「・・・勝負?」花房宏一は、弟・タツヤの脈絡のない叫びに切り返した。
「兄貴はなんだって出来るさ。でも、なんでもすぐにできるからって、答えを出すのが早すぎるんだよ!夢に付き合わされて捨てられる人の気持を考えたことあるのかよ!?一度でいいから、最後まで勝負に向き合ってみろよ!」
「・・・・・」再び運転手に、クルマを出すように促す宏一に、タツヤが畳み掛ける。
「『オレたち』商店街チームと、あんたらおエラいさんたちとの間で、商店街を潰すかどうかの決着を、勝負で決めようぜ!」
「・・・・・」クルマの窓を開け、宏一が静かに口を開いた。「何で勝負するつもりだ?」
「え?」質問されて、勢いで叫んでいた自分を一瞬恥じたタツヤだが、すぐさま辺りをキョロキョロ見回した。
「え、えーっと、その・・・」
その時、目の前に、自分を気絶させた白いボールが転がってきた。
またもや何も考えずに、脊髄反射的にタツヤが叫ぶ「や、野球で勝負だ!!」
土煙を上げて去っていくクルマをやや凝視しながら、タツヤは心の中で呟いた。「・・・怒られるんだろうなあ、みんなに」
「ばああかやろうー・・・!!何考えてやがるんだ、このボンクラ息子ーっ!!」
居酒屋《球壱》に戻り、一連の事件の報告をしたタツヤに、父・サトシが最大限の怒号を浴びせかけた。
「お前は本物の馬鹿野郎だな!商店街の将来を賭けて《野球》で決着をつけようなんて、どっからどの頭を絞れば出てくるアイデアなんだよ?あたまん中に入ってるそれは豆腐か?バカタレ」
「す、すまん・・・」さすがにシュンとなるタツヤ。理容師の吉田幸太郎が、タツヤの肩をポンと叩いた。
「でも、それでスッキリするんじゃない?しかも、勝負は半年後なんでしょ。これから必死で練習すれば何とかなるかもよ?昔みたいに・・・」「まあ、そうだな。甲子園は遠かったけどよ、オレたちだってこの地区じゃちょっとした名選手って言われてたんだ。モヤシばかりの市役所職員には負けねえよ」大工の清水大三郎も続ける。
「え、昔?甲子園?おいおい、オジサンたち、いったいなにを言って・・・」
「でもよ、もう何年もバットすら握ってねえだろ。相手は、仕事サボって毎日野球やってるような連中だ。それに、あっちには信之もいるんだし・・・」サトシがタツヤの疑問を無視して大三郎に向き直った。
「おいおい、ちょっとちょっと、何の話だよ!?全然見えねえよ」
「・・・ああ、そうか。そうだよな。タッちゃんが産まれる前の話だもんな。いや、まあ、オレたちゃよ、実はこう見えても、昔はなかなかの高校球児だったんだよ」大三郎が、目を丸くして疑問を呈するタツヤに答えた。
「そうそう、エースの信之にキャチャーはサトシちゃん。名バッテリーだったなあ。ノブの球は快速だったなあ」今度は吉田が、遠い目をしながら続けた。
「ばあか、さっきも言ったが昔の話だ。それに、そもそも商店街の命運を賭けて野球で勝負なんて・・・」
「まあ、やってやろうぜ」珍しく弱気なサトシを制して、大三郎が後押しした。「どうせ普通に抵抗しても、あの頑固な花房宏一様に、道路建設反対の説得はできないだろう。むしろ、野球で勝負だなんてバカな条件を飲んだことに感謝すべきかもな」
「しかし、お前たちは知らないかもしれないが、ヤツは・・・」言いかけたサトシの言葉を消すようにタツヤが叫ぶ。
「そうだよ、オヤジ!とにかく可能性に賭けてみようぜ!」
「とは言ったものの、メンバーはどうするかだよなあ。オレたちばかりじゃ、いくら昔取った杵柄でも若い選手には勝てねえよ・・・」先程までの少年の目とは程遠く、我に返った吉田が弱々しく呟いた。
「大丈夫だ!オレがなんとかするよ!!」そう言って、タツヤは消えるように店から飛び出していった。
「おい、ばかやろうどこに行くんだ!店の仕込みを手伝いやがれ・・・って、まったく」
サトシが叫んだ時には、既にタツヤの姿は遠くに消えていた。
「すまん。オレはもう、野球は絶対にやらない」
親友・黒原茂雄の意外な言葉に、タツヤは一瞬目を丸くした。しかし、その気持もわからないでもない、と自分の記憶力の悪さに些か絶望した。
「そ、そうだよな・・・。で、でも、商店街の未来がかかって・・・」
「やらねえったらやらねえんだ!いくらお前の頼みでも、ぜってえ野球なんかやらねえよ!」
茂雄の勢いに気圧されて、タツヤは「そうか」と呟くのが精一杯だった。
高校2年時、黒原茂雄は花房タツヤにとって自慢の親友だった。
地元の夢小金井高校野球部始まって以来の快挙となる、夏の地方予選準々決勝までコマを進ませた原動力は、1年生後半からメキメキと上達し2年で4番打者となった茂雄だったのだ。
しかし、3年生になる前の春休みに悲劇が襲った。
当時建設業をしていた父親を手伝っていた茂雄は、肩に建材が当たり全治2週間のケガを負った。ケガ自体は、若さもあり直ぐに回復したが、その時、野球部のメンバーは茂雄を待ってはくれていなかった。直ぐに別のレギュラーを立て、茂雄は補欠に回されたのだ。おまけに、チームは甲子園なんて「虚構の夢」とばかりに、ダラダラと練習をするのみだった。実は、他の部員たちは《真剣に野球をする》茂雄が疎ましかったのだ。
茂雄はその部員たちの姿に落胆し、部を去ると同時に、バットも折る決意をした。