「オヤジ・・・」
「へ?こ、こいつが・・・?」
黒原茂雄の目は、別の男を見ていた。
「私はこういうものですがねえ」先程から説教をしている男が名刺を差し出し、聞きもしないのに自己紹介を始めた。
名刺には《夢小金井市役所道路公園管理課長 仲村健吾》と書かれていた。
「まあ、この年で課長というのも、本当に優秀な証拠なんですけどね、はっはっはっ」
見た目は40代半ばなので、出世が早いのか遅いのか分からない。
「そおんなこたあどうでもいい。それより、こっちはケガしてんだよ!」
「おやおや、今度は恐喝ですか?ああ、恐ろしい。これだから、貧乏商店街に巣食う民度の低いニンゲンたちのご子息には日本語が通じなくて困りますなあ」
カチ、カチーン!
再び怒りの最高潮に達した花房タツヤが、思い切り立ち上がり、仲村に飛びかかろうとしたところを、茂雄がグッと両手で制して、仲村越しの向こうに話しかけた。「オヤジ、こんなところで市民の憩いを邪魔していいのかよ?」
いざこざに構わず練習を続けていた男のうちの1人が、その話し声に気がついて、顔をちらと向けてきた。
「なんだ、茂雄か。どうしてこんなところにいるんだ。早く事務所に戻って、市議会の議事録でも読んだらどうだ」
市議会議員・黒原信之が、起きている問題に注視すること無く、軽く《息子》に説教する。
「それに、きょうここは《貸切》の申請をしてある。何をやろうがこちらの自由だ。むしろ、勝手に侵入しているお前たちの方が悪いんだ」
「な・・・」言いかけたところで、今度はタツヤが茂雄を制した。
「まあとにかくそういうことだから、早く出て行ってくれたまえ」
上司の言質を得た仲村が、胸を張って青年たちを制しかけたとき、茂雄が徐に声を張った。
「オヤジ!オレは商店街を潰して道路を作るのは反対だからな。オヤジが手を引くまでは、オレは手伝いなんかしねえ!」
「え・・・?商店街を潰す・・・?」
タツヤの疑問にも耳を貸さず、茂雄はその場をスタスタと離れた。
「お、おい待てよ。どういうことなんだよ、商店街を潰すって?」
追いかけ疑問を呈するタツヤを無視し、茂雄は足早に姿を消した。
「息子さんにバレていたのですねえ・・・。まあいずれにしても、あの《シャッター通り》から人がいなくなるのも時間の問題ですし、道路建設にはジャマな存在であるあの商店街の用地買収も、今はずいぶんと進んでいますからご安心ください。それより、早く練習を続けましょう。試合は近いんですから」
「・・・・・」
仲村の説明じみた会話に答える気力が起きず、信之はただ黙っていた。
「まったく、なんだってんだよ」
タツヤは、茂雄を追いかけたが見失ってしまい、ただあてどもなく歩いた先で、大きな石の上に腰を下ろした。
「・・・商店街を潰す、か」途中で買った缶コーヒーに口をつけながら、「まあでも、これで跡継ぎにならなくて済むわけか」と、何気なく呟いたところで、得も言われる感覚に襲われた。
確かにこれで、余計なシガラミに囚われなくて済むはずだが、なぜか同時に寂しさも感じた。
「まあ、気にする話じゃねえな」
ふと、顔を上げたところで、自分の目の前に広大な「土」が広がっていることに気づいた。どうやら、駅前から少し離れた所にある畑の前に来ていたらしい。その先に、ひとりの農夫らしき男が作業をしていた。
「何を採っているのですか?」
50がらみの男性農夫に対して、何の気も無しに、タツヤは話しかけた。
「この季節は収穫というより、種まきがメインなので、もっぱら耕運ですね」
そういって農夫は、ゆっくりと腰を上げてタツヤの方を見た。
「あ・・・」男性の姿を見て、タツヤは小さく声を上げた。
50代と思われた男性は、自分より少し年齢が上といった若い青年であったのだ。
「地元の学校を出たあと、東京都心でずっと生活してきましたが、急にイヤになりました。理由なんて『これだ』と言えるものはありません。ただ、祖父母の暮らすこの町と畑に、急速に惹かれたといいますか・・・」
昼飯の握り飯を頬張り、少しお喋りが過ぎましたか、という顔で男は照れた。タツヤは、改めて眼前に広がる畑を見廻した。
そして、輝いた細い目で空と大地の間を眺めるこの、大林淳という男から、器の大きさを感じ取っていた。