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殿堂

球団初のテスト生

殿堂 入団はドラフトかスカウトと限定していた球団だが
初めてテスト生制度を適用したのが清水である。

清水はその日「球団のホームページを見た」として
強者のオーラを放ちながら現れた。
2004年、四谷・外濠公園に現れたその男は
球団関係者の目を丸くさせる見事な活躍をみせ
すぐさまテスト生契約となった。

その後も活躍をみせ、
シーズン途中からの参加ながら8打数4安打
打率5割の成績を残し、翌年正式契約が交わされた。



【写真】 初めて姿を現した当時の清水

脅威の出席率

殿堂 正式に選手となった2005年も勢いは止まらず
打率3割6分2厘、さらには本塁打も3本放つなど
名実ともにチームの主砲の1人となった。

しかし、清水のすごさはそれだけではなかった。
出席率が非常に良いのである。

実家が都心のど真ん中にあることも幸いし
その年、四谷での試合も多かったことなどから
全30試合に対して22試合に出席。
他を圧倒する確率で試合に登板しており、
球団関係者からも称賛の声が上がった。


【写真】 小林社長代理(当時)らと入団会見

突然襲いかかった出席激減の悲劇

殿堂 高い打率と本塁打、そして何よりも高い出場率。
チーム安定のための好条件を持ち合わせ
欠かせない存在となった2005年であったが、
翌年、清水とチームに悲劇が襲った。
突然、家庭の事情などにより、
東京から姿を消さざるを得なくなったのだ。

2006年は前年に記録した30試合にも劣らない
全28試合が行われたが、清水の出席は9試合。
これからという時だっただけに本人も悔やんだ。
ところが、それでも100キロ近く離れた場所から
クルマを飛ばして参加するときもあり、
さらにはしっかりと成績も残したのである。

【写真】 身を引き締めるため剃髪

不動の正捕手

殿堂 坂野の登場で投手力が一気に増加する一方で
安定した出席率を誇る「捕手」の存在は大きい。
どんな投手が登板してもしっかり受け止める
まさに攻守両役を担える存在となった清水。
2007年には優秀賞も獲得した。

この年は、ほぼ100%に近い20試合に出場。
2005年に迫る19安打を記録し、本塁打も2本
そして打点18という数字も記録するなど
往時の野村克也氏を思わせる活躍をみせた。



【写真】 笑顔で優秀賞の盾を手にする清水

打ち立て続ける記録

殿堂 2008年になってもその勢いは止まらず、
ついには打率4割を超えるにまで成長した。
テスト生時代も含め、一度も3割を切ったことがない選手は
清水以外にはおらず、まさにチームの要となった。
数多くの苦難を乗り越えながらも
野球を愛し、チームを愛し続けてきた清水。

史上3人目となる殿堂入りについてこう語る。
「こんな成績でもらってよいのでしょうか?
 これからは気合いを入れ直し頑張ります。 」

今後の更なる活躍に期待する。


【写真】 ベンチでも捕手姿のまま待機する清水

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