■ 超大物ルーキー誕生
【写真】本塁打を放ちベンチで迎えられる青原(左)
球団を「混乱期」から「復興期」へと誘ったのが
相手を悉く打ち崩す破壊的な打撃力であった。
2002年に新規加入してきた選手たちによって チームの打撃力は格段にレベルを上昇させた。 特に、長打を放つ選手が続々加入し、 不安な守備力をカバーするに余りある力を発揮した。
その長打チームの原動力となったのが青原である。
ルーキーイヤーの2002年には打率4割をマーク。
そして、
本塁打も2本放つなど、 4番打者としての位置を早くも不動のものとした。
2002年に新規加入してきた選手たちによって チームの打撃力は格段にレベルを上昇させた。 特に、長打を放つ選手が続々加入し、 不安な守備力をカバーするに余りある力を発揮した。
その長打チームの原動力となったのが青原である。
ルーキーイヤーの2002年には打率4割をマーク。
そして、
本塁打も2本放つなど、 4番打者としての位置を早くも不動のものとした。
■ 安打&本塁打大量生産機
打撃のニューヒーローとして脚光を浴び、
瞬く間にスーパースターへの階段を駆け上がった青原。
プライベートな時間もファンへの対応を怠らず、 人気も不動のものとなっていった。
成績の方も上々、 2年目は、打率成績は振るわなかったものの、 本塁打は前の年を上回る3本を放つなど 2年目のジンクスを払拭した。
そして2005年までの4シーズン、毎年本塁打を放ち 2006年までに、合計10本の本塁打を放った。
プライベートな時間もファンへの対応を怠らず、 人気も不動のものとなっていった。
成績の方も上々、 2年目は、打率成績は振るわなかったものの、 本塁打は前の年を上回る3本を放つなど 2年目のジンクスを払拭した。
そして2005年までの4シーズン、毎年本塁打を放ち 2006年までに、合計10本の本塁打を放った。
【写真】試合後、快くファンに応じる青原(右)
■ 安打を支えた愛機のために
【写真】"愛機”が折られ、号泣する青原
本塁打と安打大量生産機の異名を取り、
打率、打点、本塁打の全てにおいて
成績を残し続けてきた青原を悲劇が襲った。
愛用してきた「黒バット」が 相手投手の剛速球の下、真っ二つに破断したのだ。
悲しみに暮れる青原はその後スランプに陥るが、 持ち前の危機対応能力をフルに発揮して 新バットを手に入れると同時に復活。
無念の愛機への手向けとも取れる活躍をみせ、 2005年には3割5分、本塁打4本、21打点という猛攻で チームの勝利に貢献した。
愛用してきた「黒バット」が 相手投手の剛速球の下、真っ二つに破断したのだ。
悲しみに暮れる青原はその後スランプに陥るが、 持ち前の危機対応能力をフルに発揮して 新バットを手に入れると同時に復活。
無念の愛機への手向けとも取れる活躍をみせ、 2005年には3割5分、本塁打4本、21打点という猛攻で チームの勝利に貢献した。
■ 後輩の指導にも尽力
打撃、守備ともに素晴らしい活躍を続ける青原は、
チームへの愛も強かった。
2003年のシーズンオフからは、緊急臨時コーチに就任。
鬼のような特訓を繰り返し、チーム力の強化に努めた。
厳しいながらも、後輩への丁寧な指導には定評があり、 2005年、球団から正式な「兼任コーチ就任」の要請を受けるも、 青原は「生涯現役選手」への拘りを捨てきれず、辞退した。
コーチ就任辞退を受け入れた球団は、青原への敬意を払い 2006年、史上2人目となる「殿堂入り」を発表した。
2003年のシーズンオフからは、緊急臨時コーチに就任。
鬼のような特訓を繰り返し、チーム力の強化に努めた。
厳しいながらも、後輩への丁寧な指導には定評があり、 2005年、球団から正式な「兼任コーチ就任」の要請を受けるも、 青原は「生涯現役選手」への拘りを捨てきれず、辞退した。
コーチ就任辞退を受け入れた球団は、青原への敬意を払い 2006年、史上2人目となる「殿堂入り」を発表した。
【写真】寒空のなか、後輩を指導する青原(左)
■ 時には鬼のように。しかし心は神のように
【写真】厳しく選手を指導する青原
輝かしい活動の裏では、球団との軋轢もあった。
年俸交渉では、史上初となる「複数年契約」を結ばせるなど 「強引」とも言える手法に一部からは批判も出たが、 これも「後輩たちのため」と、 今後の選手達への配慮から取った行動であると、後に明かしている。
チームを愛し、選手を愛する青原。 殿堂入りについて、こう語る。
「今まで野球をやってきてよかったです。
これからはゴルフの方でかんばりたいと思います。 」
今後の更なる活躍に期待する。
年俸交渉では、史上初となる「複数年契約」を結ばせるなど 「強引」とも言える手法に一部からは批判も出たが、 これも「後輩たちのため」と、 今後の選手達への配慮から取った行動であると、後に明かしている。
チームを愛し、選手を愛する青原。 殿堂入りについて、こう語る。
「今まで野球をやってきてよかったです。
これからはゴルフの方でかんばりたいと思います。 」
今後の更なる活躍に期待する。